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映画『わたしは光をにぎっている』中川龍太郎監督と主演の松本穂香さんにインタビュー

  『四月の永い夢』で知られる中川龍太郎監督の最新作。 ひとりの若い女性が自分の力で自分の居場所を見つけていく過程を描いた映画『わたしは光をにぎっている』。 ふるさとを離れ、東京に出てきた20歳の澪。 人付き合いが苦手で都会に馴染めずにいたが、居候先の銭湯を手伝うことで大切な居場所ができ、地元の人たちとの交流を深めていく。 そんな中、その場所が区画整理によりもうすぐなくなることを知るー。   中川龍太郎監督と主人公の澪を演じる松本穂香さんのインタビューをお届けします。 『わたしは光をにぎっている』アイキャッチ  

松本さんは、主人公の澪に共感するところはありましたか。

松本穂香(以下、松本): 人とのコミュニケーションがあまり得意ではなかったり、人とあまり喋らない役でしたが、劇中でもあった「喋らないことで自分を守っている」というのは自分にも刺さる言葉でした。 なにかを伝えるって、同時に自分が気づく可能性も出てくると思うんですけど、自分から動かないことでプラスでもマイナスでもないゼロな状態で、自分はそこで守られているというような部分は私の中にもあったので、自分にも近いものがあるなと思いました。 でも(澪は)ただ弱いというわけじゃなくて、自分の考えは持っていますし、大事な人、大事にしたいことを自分の中に持っているので、そういう部分を大事にしたいと思い、澪をただ弱い子には見せたくないというのはありました。

演じるにあたり、難しかったところはありますか。

松本:徳永えりさんが演じる)美琴さんに言葉で刺される場面では、美琴さんは刺してるつもりはないんですけど、でも澪としてはかなりショッキングなことで、それをどう受けるのか。また、ここ(銭湯)もなくなるんだって(三沢京介役の)光石(研)さんに言われる場面では、感情を言葉としてうまく発することができないなど、澪としてわからないところはたくさんありました。

中川監督は、演出で心がけたことはありましたか。

中川龍太郎監督(以下、中川): いつもはけっこう、ああでもないここでもないと俳優さんとディスカッションしたり、こうしてくれああしてくれと言ってしもうほうなんですけど、それをやりすぎると「こうやってやろう」というのが見えてしまう瞬間が出てくるので、今回は極力それはしないでおこうと思っていました。 いつもそうなんですけど、風景を撮ることがやっぱり大事だから、「こうやってやろう」というのが見えたときに風景の中にちゃんと人物が溶け込めなくなるんじゃないかなということを心配したんです。 だから一言二言ぐらい前提となる言葉を伝えておいて、わりと自由に思った通りにやってもらうという演出方針でやりました。 光石さんには「あの役は20年後の僕です」って言ったんです。 そういうつもりで脚本を書いたんです。 あれはだから、 「(渡辺大知さん演じる)銀次は今の僕で、光石さんは2、30年後の僕だと思っていて、大好きな映画や古い建物だったり愛着のあるものを守ろうと頑張ってきたんだけど、結局全部闘いに負けてみっともないオヤジになった自分の姿なんです」 と言ったら、 「なんでそんな後ろ向きなこと言ってんだよ。もっとがんばれよ」 と言われちゃいましたけど(笑)。

監督自身まだ20代とまだお若いですが、今回のノスタルジックな作品を作ろうと思ったきっかけは。

中川: もともと自分はけっこう古い下町みたいな、今回の映画で描かれているような場所で生まれ育ったんですね。 だけど久々に行ってみたら全部ビルになってて、住所は同じだけれど自分の故郷でもなんでもないと思って、そのときの傷みたいなものが自分をこの映画に向かわせたのかなと思います。

松本さんは(大阪の)堺の出身ですが、街が変化にショックを感じたりしますか。

松本: 私はあまり感じたことはなくて、あってもイオンモールの中にあった好きなお店がなくなるぐらい(笑)。 イオンモールの中のお店は変わることが多い印象で、あそこのお店なくなったんだ、なんか切ないというのはありますね。 中川: そこに行くとその匂いなんかで思い出すって、お店でもあるじゃないですか。 光の感じとかこういう匂いがするなとか、それも結局本質的には同じことだと思いますね。

よく行ってたお店なんかあるんですか。

松本: なにしてたんだろう(笑) あ、干し芋食べてました。 イオンモールの中央に椅子みたいなところがあるじゃないですか。あそこで干し芋食べてました(笑)。 中川: 干し芋めっちゃ似合いそうだね。 松本: さつまいもが好きで、好きな食べ物を聞かれたらさつまいもって答えてます。 中川: 次の映画に取り入れよう(笑)。  

今回の映画は、記録映画のような一面もみられたんですけど、ふるさとが変わってしまって、昔の風景みたいなものを残したいというような特別な思いがあったんですか。

中川: そうですね、映画ってものが持っている大事な要素として、記録性というものが絶対あると思っていて、たとえば市川崑監督の『東京オリンピック』(1965年の記録映画)を観ると、その美的なスポーツの部分以上に、そこに映っているおばあちゃんとか農家のおばさんやおじさん、60年代の東京の街並みが記録されてて、それを観ると日本人の顔ってこんなにも変わってるんだと思うんですよね。 1960年のときって自分の親が生まれたぐらいなんですけど、そのときの日本人の、特に高齢者の方の顔と、今の高齢者の方の顔ってまるで違うんですね。 違うっていうことに、まず非常に価値がある。資料としてさまざまな研究ができますからね。 映画ってそういった「記録する」ということがまずセットでついているはずなんですよね。 逆にいえば、いまはCGなんかでなんでも作ることができる時代になっていて、それはもちろんあっていいんだけども、あくまで記録性というものにこだわったものを、その瞬間にそこにあったものだけを撮るということをしている映画が1本ぐらいあってもいいんじゃないかという思いでこの映画を作りました。

そういう記録性というところと作品性を成立させるという難しさはありますか。

中川: 本当にそれが難しくて、僕としてはこの映画を自分の子どもや孫に観てもらいたい。 それはこういうものがあったんだってことを観てもらうという意思でやったんですけれども、それはただ街を撮っていればいいというものでもなくて、その映像だけででなくやっぱり物語が必要なんです。 そうじゃないと単なるマニアの収集になっちゃうから、物語によって観ている人にとって他人事ではなく、澪さんを通して共感したり、京介を通して共感したり、銀次を通して共感したりという形で、自分の物語にする必要がある。 そこの難しさに対して橋を渡してくれたたのがまさに松本さんの存在で、街の中にいても浮かない存在感を出せる人です。存在感はあるんだけども、浮いてしまわない。 そういう人と出会えたからこの映画が可能だったという言い方はできますね。

今回の映画では“終わり”がひとつの大きなテーマなんですけでど、“終わり”というものを描こうと思ったきっかけや理由を教えていただけますか。

中川: 僕は幼い頃から祖父母に育てられた時間が長いんです。 祖父母はもう90代なんですね。 だから今は元気にしてても、どうしても終わりをイメージせずにはいられない瞬間というのはたくさんあって、いつまでも一緒にいられるわけではないので、そのときにジタバタしない人間でいたいんですよ。 自分にとっては大事な祖父母が死んだら自分は気がおかしくなっちゃうんじゃないかと、そんなこと考えるだけで鬱病になっちゃいそう。でもそんなことじゃみっともないじゃないですか。 それはみんなが経験しなければいけないことだし、そういうことを考えると、“終わり”について映画を通して疑似的に体験してるんだと思いますね。 以前、親友が自殺したあとに映画を撮ることで自分が生きていけるようになった経験、それとある意味対をなしています。  

松本さんは作品を観て涙されたっていうエピソードがありましたが。

松本: 自分の出演作で泣いたことは以前にもあるんですけど、ちょっと違うのは純粋に映画として楽しめたのは本当に初めてだったんです。 他の出演作だと、自分の芝居のダメなところに目がいってしまったり、集中しきれなかったりして、そこは私の未熟さなんですけど、でも今回はそういう観点で観ることがなかったといいますか… 撮影中は本当にあまりなにも考えずに澪として感じたり言葉を受け止めたりできてたので、フラットな気持ちで映画を楽しめたのかなと思います。 この映画を観て泣いてくださった方もいて、自分もそれと同じように映画を観て温かい気持ちになって、感動したという部分が大きかったですね。 それも嬉しかったです。

役は自分と共通する部分が多かったという印象ですね。

松本: そうですね。 結構、普段からボーッとしている… 中川: 干し芋食いながらね(笑)。 松本: ところがあるんですけど、自分の中にも譲れない部分はありますし、許せないこともあって、大事な人にはそれを伝えますし、そういうところを澪もきっと大事にしてる子だと思うので、そういった部分はきっと一緒だったんだと思います。 ですので、演じていてあまり大変さはありませんでした。忘れようとしてるだけかもしれないですけど(笑)。

山村暮鳥の詩をタイトルに引用されてますけど、どういった出会いだったんですか。

中川: 山村暮鳥はクリスチャンで、自分の父もクリスチャンで、家に詩集があったんですね。 そういう素地があった中で「自分は光をにぎっている」がすごくいいタイトルだなと思っていて、それがこれからなんとなく日本がよくなっていく感じがあまりしないなっていう今の時代にすごくフィットする詩だと思ったんです。 光を握ってないかもしれないけどそれでも言い張っている、それがすごく今の時代に合うなと思いタイトルにしました。

劇中のドキュメンタリー映画があって、実際に街の人を撮られているっていうことですが。

中川: そうですね、あれはもう絶対にやりたかった部分です。 あのドキュメンタリーだけを独立して作っても観てくれる人はいないし、それこそ結局趣味的になってしまって、観る人が感情移入できない。 だから物語の中にドキュメンタリーを入れるっていう構造は最初から狙いとしてあったんです。 松本: 監督のご家族が映ってますよね。 中川: 劇中で澪が映画館で観ている映画があるじゃないですか。 あれに出てくるのがうちの母ちゃんと弟なんですよ。 自分の母親もいつか死ぬわけだから、残しておきたいっていうのがあるんでしょうね。 まあ、お金がなかったからなんですけどね。ただで使えるおばさん(笑)。

「家族を大切にしてる」だと書きやすいんですけど(笑)。

中川: 大切にしてます。だから出てもらったんですよ(笑)。 でもいつも思うんですけど、大事なものを撮って残したいというのが映画に向かう一番の理由なんですよね。 松本さんだって去年の松本さんと今の松本さんは別人に見えるし、出会った頃と全然違う人だと思う。1年おきに会ってるけど、1年おきに違う人になっているような気がして、それって絶対大事ですよね。 演技がうまいとかよりも、この人を好きだから撮るってことが僕にとっては重要なことなんですね。 いい映画監督になるよりも、いい人間をたくさん撮っている監督になりたいですよね。 松本: 素敵。 中川: 見出しに使えそうかな(笑)。

最後にメッセージを。

中川: 京都でも大阪でも、今はちょうど古いものが入れ替わっている時期ですよね。 その入れ替わっている自分の大好きなお店だったりとか、そういうものがなくなって悲しいと思ったことがある人、そういう人たちのための映画というつもりで作ったので、ぜひ映画館で観ていただきたいです。 松本: やりたいことが見つからなかったり、すぐに投げ出してしまって自分がだめだなって思ってしまったりすることってたくさんありますけど、それはただ出会えてないだけで、好きなものとか向いてるものとか、きっとどこかにあると思います。 それをいろんな世界にふれて見つけていってほしいなって、この映画を通して思います。      

『わたしは光をにぎっている』

『わたしは光をにぎっている』アイキャッチ 11月23日(土)より京都シネマで公開 監督・脚本/中川龍太郎 出演/松本穂香、渡辺大知、徳永えり http://phantom-film.com/watashi_hikari/  

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