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映画プロデューサー・志摩 敏樹さん

シマフィルム代表・映画プロデューサー

志摩 敏樹さん

 

しま としき。京都府舞鶴市出身。志摩機械株式会社の経営を行う傍ら、映画の製作、配給・宣伝、劇場運営を行うシマフィルム株式会社(本社:舞鶴市)の代表を務める。2003年公開の『ニワトリはハダシだ』をはじめ、今までに11作の映画を企画・製作。

 

 

製作から劇場の運営まで。映画のすべてを仕事に

 

 

映画との出会い、シマフィルムを作るまでのお話を教えてください!

 

子どもの頃、親に連れていかれた怪獣映画が、僕と映画の最初の出会い。中学生になると、当時大流行した カンフー映画や、オカルト映画、パニック映画に夢中になった。まだ田舎にも劇場がたくさんあって、映画館が今より身近な存在だったね。高校時代は過去の名作にハマったけど、当時は 古い映画を観るのが大変な時代で。ネットはもちろん、衛星放送やレンタルビデオ店もないから、テレビで放送される黒澤明や内田吐夢の作品を 必死に探して観ていたね。

 

その後、進学で上京したんだけど、当時の東京は名画座の全盛期で。 学校にも行かず、毎日のように名画座に通っては、ジャンルを問わずに観ていた。その頃から映画の仕事がしたいと思っていたけど、実家の商売を継ぐために大学卒業とともに舞鶴に戻った。それから数年後、父親が急逝して会社を引き継いでからは本当に忙しくて、十数年はろくに映画を 観れなかったね。だけど、映画が好きという気持ちは変わらなかった。

 

そんな時に、友人から相米慎二監督の『風花』へ出資をしないかという話がきた。そこからだね、映画事業に関わりだしたのは。シマフィルムの設立はさらに3年後、『ニワトリはハダシだ』という作品を製作していた頃です。

 

 

志摩さんが考える、映画の仕事の魅力や役割とは?

 

シマフィルムでは映画の製作、配給・宣伝、劇場運営のすべてを行っていて、プロデューサーの僕は企画から資金集め、監督・スタッフの編成、キャスティング、撮影、仕上げ、宣伝と、あらゆる工程に関わっています。映画製作って要するにモノづくりだから、企画して、現場で撮っている時間はもちろん楽しい。完成した作品を公開して、お客さんの反応を観る瞬間が楽しさのピークかな。そこからは、当たれば嬉しいし、当たらなければ苦しい。僕は当たりを狙うよりも、好きな監督とか好きな企画をやりたいってタイプだから、経済的には当たらない作品が多い(笑)。

 

劇場の運営は今から7~8年前に始まった『立誠・シネマプロジェクト』の一環で立誠シネマを作ったのがきっかけで、その流れでできたのが出町座。今は出町座、京都シネマ、舞鶴八千代館、福知山シネマの4劇場を運営しているけど、劇場によってその役割は全然違う。出町座のような市内にある劇場では、シネコンが取り上げないマイナー作品の上映が必要だけど、舞鶴、福知山は地域の劇場として メジャーな作品を上映することが求められる。人口減少や鑑賞方法の多様化が 進んで、劇場を取り巻く環境は厳しくなってきているけど、求めてくれる人たちがいて、役割を果たせる間は運営を続けていきたいね。

 

 

将来の夢を教えてください!

 

うーん、なんだろう(笑)。自分が元気なうちは、劇場なのか、製作なのかはわからないけど、自分から投げ出すことなく映画に関わっていきたい。その中で色々なことが起きて…、 もちろん良いことばかりではないと思うけど。問題に直面しても、解決しながら前に進んでいこうと思います。

 

あとは面白い映画を作りたいね。僕が作りたい、観たいと思う映画を。そこは昔からブレていない部分であり、これからもそうありたいです。