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5/12(水)~ 6/6(日)「田中一村展 奄美へとつづく道」@美術館「えき」KYOTO

 

 

ジェイアール京都伊勢丹
美術館「えき」KYOTO

田中一村展

奄美へとつづく道

Isson Tanaka: Tha Road Leading to Amami

 

南の琳派(りんぱ)と称すべき、亜熱帯の花鳥世界を確立した画家・田中一村の画業のすべて

 

明治41(1908)年、木彫家の父のもとに生まれた田中一村(本名・孝〈たかし〉)は、幼少期より画才を発揮し、7歳の時に父から「米邨(べいそん)」の号を与えられました。大正15(1926)年には東京美術学校に入学するも、わずか2カ月で退学。

 

退学後数年は南画家として活動しますが23歳の時に南画と決別し、30歳で移住した千葉で20年間風景や動植物の写生に明け暮れます。

 

その間、美術団体・青龍社に出品し入選。39歳で念願の画壇デビューを果たし「米邨」から「一村」へと改名しました。

 

しかし、その後も日展や院展に挑戦するもことごとく落選。以後中央画壇との関係を断った一村は、新天地を求めて奄美大島へと渡ります。一村50歳の時でした。そして昭和52(1977)年に69歳で亡くなるまでの19年間、奄美の亜熱帯の多様な自然に魅了された一村はその風景を独自の画風で描き続けました。

 

本展では若き南画家としての栃木~東京時代、新しい画風を模索し「一村」と名を変えた千葉時代、そして画家として満足感あふれる日々を送った奄美時代と、大きく3つの章に分けて一村の画業をご紹介します。

 

 

 

★開催概要

会期 2021年5月12日(水)~ 6月6日(日)※会期中無休
時間 10:00~ 19:00(入館の締切は各日閉館の30分前)※百貨店の営業時間に準じ、変更になる場合があります。
料金 ⼀般/1,100円、⾼・大学⽣/900円、⼩・中学⽣/500円 ※「障害者手帳」をご提示のご本人さまとご同伴1名さまは、当日料金より各200円割引
主催 主催=美術館「えき」KYOTO、京都新聞 監修=大矢鞆音(美術評論家)、新山 宏(田中一村著作権承継者) 特別協力=田中一村記念美術館 企画協力=株式会社アートワン
web 美術館「えき」KYOTO 公式サイトはこちら

*新型コロナウイルス感染拡大防止策、および入館のお客さまへのお願いを、公式ホームページに掲載しております

*新型コロナウイルス感染拡大予防のため、掲載内容に変更が生じる場合がございます。最新情報は美術館HPをご確認ください

※本展覧会は事前予約不要ですが、混雑状況により入館をお待ちいただく場合がございます。予めご了承ください

※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、入館の際はマスクの着用、検温、手指の消毒をお願いしております

 

 

 

【 展示構成 】

 

1章:栃木~東京時代 若き南画家「米邨(べいそん)」の誕生

明治41~昭和12年(1908-37)頃|0~29歳頃

 

《菊図》大正15(1915)年 個人蔵 ©Hiroshi Niiyama 2021

 

東京美術学校入学の頃、『全国美術家名鑑』(大正15年版)に「田中米邨」の名が掲載される。南画の世界では既に名を成す存在であった。同期に加藤栄三、橋本明治、東山新吉(魁夷)らがいたが、一村は美校退学後2度の作品展を開催するなどその活躍は抜きんでており、中国の趙之謙(ちょうしけん)や呉 昌石(ご しょうせき)の作品を倣じながら精力的に制作を続ける。しかし、弟2人と父母を次々と亡くすなど呻吟刻苦(しんぎんこっく)のなか、23歳のとき新しい日本画を求めて南画との訣別を図る。

 

 

 

2章:千葉時代 新しい画風の模索 ──「一村(いっそん)」の誕生

昭和13~32年(1938-57)頃|30~49歳頃

 

《忍冬に尾長》昭和31(1956)年 個人蔵(田中一村記念美術館寄託)©Hiroshi Niiyama 2021

 

一村30歳(昭和13年)の時、母方の親戚川村幾三を頼って千葉市千葉寺に家を新築し、姉・喜美子(きみこ)、妹・房子(ふさこ)、祖母・スエとともに移住する。山の中の一軒家は東京から連れてきた鳥籠であふれ、庭には数々の実のなる木を植え軍鶏(しゃも)を飼い、スケッチに明け暮れた。戦後すぐに青龍社展に出品した《白い花》が入選するも、翌年の《秋晴》は落選。支援者からの注文による襖絵などの大作を描きつつ、日展・院展に挑戦するがことごとく落選。画境を変えるためすべてを捨てて単身奄美へと旅立つ。

 

 

 

3章:奄美時代 生物多様性を描く──「南の琳派(りんぱ)」の誕生

昭和33~52年(1958-77)頃|50~69歳頃

 

《奄美の海に蘇鉄とアダン》昭和36(1961)年 田中一村記念美術館蔵 ©Hiroshi Niiyama 2021

 

昭和33年12月名瀬(なぜ)港に降り立った一村は、郊外の有屋(ありや)集落に国立療養所 奄美和光園(あまみわこうえん)を訪ねる。手つかずの自然に魅せられた一村は、3年後移住を決め、大島紬(つむぎ)の工場で摺り込みの仕事に従事する。毎日の早朝散歩は鳥や植生を凝視する至福のとき。「墨画の近代化」を掲げ「良心の納得する絵」を描くことに全身全霊をかけた。南画で鍛えた自在な筆さばきを駆使した新しい日本画は、水墨を基調とした琳派調の作品を創出。“南の琳派” とも称すべき亜熱帯の花鳥世界を確立した。

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