1/6(水)~ 3/7(日)展覧会「分離派建築会100年 建築は芸術か?」@京都国立近代美術館
日本初の建築運動「分離派建築会」の結成から100年。日本の建築界に鮮烈なインパクトをもって現れた新星たちが果たした役割とは
『京都国立近代美術館』(左京区)が、日本で最初の建築運動「分離派建築会」をテーマにした展覧会「分離派建築会100年 建築は芸術か?」を1月6日(水)より開催。
1920年からはじまる彼らの活動について、「彫刻」「田園」「都市」「家具」といったテーマで、彼らの作品を中心にしながら、彼らが参照した建築以外の芸術作品を含めて紹介していきます。
瀧澤眞弓 山の家 模型 1921(大正10)年 再制作:1986年、瀧澤眞弓監修 個人蔵
分離派建築会が希求した建築の芸術とは何か。変革の時代を鮮やかに駆け抜けた彼らの軌跡を振り返ります。
会期 | 2021年1月6日(水)~ 3月7日(日) |
会場 | 京都国立近代美術館
京都府京都市左京区岡崎円勝寺町26-1 |
時間 | 9:30~17:00(金曜、土曜は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで |
休館日 | 月曜日、1月12日(火)※1月11日(月・祝)は開館 |
観覧料 | 一般/1,500円(1,300円)、大学生/1,100円(900円)、高校生/600円(400円)
※( )内は20名以上の団体料金
【前売券の主な販売場所】 |
主催 | 主催=京都国立近代美術館、朝日新聞社 後援=一般社団法人日本建築学会、公益社団法人日本建築家協会、一般社団法人DOCOMOMO Japan、建築史学会、一般社団法人京都府建築士会 協賛=株式会社 アール・アイ・エー、株式会社、石本建築事務所、株式会社山田綜合設計 協力=一般財団法人デジタル文化財創出機構 学術協力=分離派100年研究会 |
Web | 展覧会 特設ページはコチラ |
備考 | おうちでも展覧会を楽しんでもらえるよう、特設サイトにイベントのアーカイブ動画や、オリジナルコンテンツを用意。今後、マンガや動画、ネット記事など、大人から子供まで楽しめるさまざまなコンテンツが随時公開されるので要チェック! |
★「分離派建築会」とは
分離派建築会創立時の集合写真 1920(大正9)年2月1日 写真提供:NTTファシリティーズ
1920(大正9)年に結成された建築運動。石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守によって結成され、その後、大内秀一郎、蔵田周忠、山口文象が加わり、1928(昭和3)年まで作品展と出版活動を展開した。明治時代からの権威的な建築ではなく、大正時代の自由で民主的な建築を目指して活動。日本で生まれた最初の近代建築運動でもあり、日本の近代建築の結節点でもある。
★展覧会の構成(全7章)
第1章…迷える日本の建築様式
後藤慶二 辰野博士作物集図 1916(大正5)年 辰野家
明治に入り、日本の建築界は西洋の文化に追いつこうと、西洋由来の建築様式を受容し展開していきます。明治も終わりに近づく頃、そうした様式受容は一段落し、果たして日本が今後目指すべき建築様式とはなにか?と自問しだすようになります。こうした分離派建築会誕生の背景となる明治時代から大正初期にかけての建築界を概観します。当時流行した「セセッション式」に関する資料や家具などを展示します。
第2章…大正9年「我々は起つ」
山田守 卒業設計・国際労働協会 1920(大正9)年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻
分離派建築会を旗揚げした6人の卒業設計を紹介します。いずれも大きな図面で、次の時代を作るのだという気迫が画面いっぱいから感じられます。彼らは図面のなかに、次の建築の表現を模索しました。
第3章…彫刻へ向かう「手」
岩元祿 旧京都中央電話局西陣分局 1921(大正10)年 撮影:2020(令和2)年、若林勇人
新しい建築の創作を目指して、彼らが注目したのが西洋の新しい彫刻の潮流でした。分離派建築会のメンバーは白樺派によって日本に紹介されたオーギュスト・ロダンの影響を受け、また石本喜久治は渡欧からの帰国の折に彫刻作品を持ち帰ったほどでした。この章では、彼らの彫刻的な習作をコンピューターグラフィックによって再現。また、旧京都中央電話局西陣分局の彫刻などを紹介していきます。
第4章…田園へ向かう「足」
堀口捨己 紫烟荘 1926(大正15)年 『紫烟荘図集』(洪洋社)所収 東京都市大学図書館
都市の大衆文化から離れた農村に、あたらしい暮らしの夢もみました。この章では田園をテーマにして、堀口捨己による茅葺き屋根の住宅「紫烟荘」や、また瀧澤眞弓が、山本鼎の農民美術運動のために設計した研究所などを紹介します。
第5章…構造と意匠のはざまで
山田守 東京中央電信局 1925(大正14)年 写真提供:郵政博物館
都市での実作を残すようになる分離派建築会のメンバー。その一方で、構造の合理性と意匠との兼ね合いの中で、彼らは葛藤していきます。構造の合理性と、建築の芸術性は一致するのか。彼らの次のステップに迫っていきます。
第6章…都市から家具 社会を貫く「構成」
堀口捨己 小出邸応接間 肘掛け椅子 1925(大正14)年/復元:1997(平成9)年 江戸東京たてもの園
昭和に入ると、白木屋百貨店などの都市的なスケールの建築も手掛けるようになります。また同時に、建築家の課題として、人口増加による大量の住宅需要にいかに応えるかがテーマともなり、住宅への興味も増していきます。大きな建築と、小さなスケールの家具。この2つの異なるスケールを横断しながら、建築家は、建築も家具も設計していきます。そうした2つの異なるスケールを「構成」をキーワードに見ていきます。
第7章…散開、それぞれのモダニズム建築
石本喜久治 旧横須賀海仁会病院 1939(昭和14)年 撮影:2020(令和2)年 若林勇人
分離派建築会の活動は、1928年の第7回が確認できる最後の活動です。8年余りの分離派建築会の活動を経て、メンバーはそれぞれの興味をいだきながら別々の道を歩んでいきます。この章では本展のエンドロールとして、昭和に入り、それぞれの活動へと歩みを進めていく彼らの方向性を示す代表的な作品を紹介していきます。