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2019.2.21映画

映画『あの日のオルガン』
平松監督にインタビュー

太平洋戦争末期、53人の子どもたちの命を守った保母たちがいた。
国の決定を待たず、日本で初めての園児を連れての集団疎開を敢行したヒロインたちの奮闘を描く、感動の実話。
昭和から平成、あらたな時代へ語り継ぎたい物語。

 

 

 

メガホンをとるのは長年山田洋次監督との共同脚本、助監督を務め、『ひまわりと子犬の7日間』の監督で知られる平松美子さん。
2月22日(金)の公開を前に、今回の作品の脚本も務めた平松監督にお話をうかがいました。

 

 

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今回の作品は「疎開保育園」についてのお話ですが、「疎開保育園」についてはご存知でしたか。

 

平松恵美子監督(以下、平松):

オファーをいただき、原作を読んで初めて知りました。
トップダウンではなく、現場のまだ20歳そこそこの保母さんたちが置かれている状況に疑問を持ち、周りを巻き込んで行動に移したということに驚きました。
また、幼い子どもを持つお母さんたちも、保母さんたちを信頼して託したというのがすごいなと感じました。

 

 

実話の映画化であり、戦争を描くということでの苦労はありましたか。

 

平松:
ロケーションを選ぶのが苦労しました。
舞台は埼玉で、関東の平野部で山のないところなんですが、京都で似たところを探すのが大変でした(撮影は京都の亀岡や京丹波で行われた)。
結局、山があるところで撮影しましたが、いいところがあってよかったです。
また、子どもたちを当時のおかっぱ頭と坊主頭にしないといけない。
一人ずつやると泣き出す子もいるだろうから、「断髪式」といって集めて一斉に行いました。

 

 

子どもたちの表情や演技が自然で素晴らしいと思いました。

 

平松:
最初このお話をいただいたときに、たくさん子どもが出てくるのでどうしたらいいの、と思いましたが、子どもたちには基本お芝居はさせないと決めました。
保母さん役の役者さんたちのお芝居をきちんと撮ることをしっかり考えて、子どもたちにはなるべく芝居をさせないようにしました。

子どもたちとどんなやりとりをするか、どのようにあつかうか、自分たちで考えてくださいとお願いして、役者さんたちにほぼまかせてますね。
そうするためには、ふだんから子どもたちとコミュニケーションをとってないといけないのですが、そういうことをみんな丁寧にやってくれました。

おかげでお芝居をしているというよりも、子どもたちと自然に接している感じを出すことができました。
子どもたちも慣れ親しんだ相手と一緒にいるという感じで、表情やしぐさなど自然な感じでとらえられたかなと思います。

 

 

保母さん役の役者さんたちの演技も素晴らしかったです。

 

平松:
戸田(恵梨香)さんは難しい芝居だったと思います。
一面ではしょっちゅう怒っている部分もあるのですが、その裏側にどんなことを抱えているかということを表現しなければいけない。非常に抑圧的なお芝居を要求されるのでたいへんだったと思います。
でもものすごく深い陰影のあるお芝居で、期待以上の表現をしてくれました。
一方の大原(櫻子)さんは、常に自分を解放していかなければならない。
そのへんをピュアなかんじで自然にやらなければいけなかったのですが、素晴らしくはまったなと思います。
彼女は劇中でいちばん子ども達に慕われる役なんですけど、現場でも子どもたちに対して一切手をぬかない。子どもたちと向き合いながら、私が出す注文にも一生懸命理解してやってくれる、そういう面もすごいなと思いました。

 

 

大原さんとけんちゃんとの河原でのシーンはぐっときて胸にせまるものがありました。

 

平松:
あの河原を探すのが大変で。
場所は京丹波なんですが、滋賀から京都まであちこち探してぎりぎり見つかりました。
最初にロケハンに行って
「ああいい場所がやっと見つかったね」
と言っていたんですが、最終確認でメインスタッフと行ったら豪雨のあとで河原がめちゃくちゃ荒れていて、青ざめました。制作部を中心にみんなで片付けてくれて、たいへんでしたけど、いいシーンになりました。

 

 

今回の作品は今までに3度企画があがり、実現するまでに約40年かかったとお聞きしました。

 

平松:
「子どもたちが厳しい状況におかれているんじゃないか」「命がないがしろにされているんじゃないか」ということを企画の鳥居(明夫)さんは常々思っていて、6年ぐらい前に原作(久保つぎこさんによる『あの日のオルガン 疎開保育園物語』)のことを思い出されて、いまがふさわしいときじゃないかと、私のところに持ってこられたんですね。
「こんなにたくさん子どもが出てくる作品をどうやって映画化するの」
と思いまして、そのときには予算がなくて、このままだめになるといいなと(笑)。ちょっとどこかでそう思いながら原作を読んだら、自分たちでやらなきゃいけないと行動に移した保母さんたちの姿にうたれてしまいました。
結局、資金繰りがうまくいかなくて、いったんだめになったんですけど、そのときに自分だったらこんなふうに映画化するっていうプロットを書いていたので、鳥居さんに渡したんですね。
そのプロットを鳥居さんがプロデューサーの李(鳳宇)さんにお渡ししたら、

「今やるべきですよ、やりましょう」

となって、実現する運びとなりました。

いま振り返るとよかったなと、いまやるべき仕事だったなとという感じがします。

子どもたちのことをどうしようかというのはありましたが、動き出してからは、とにかく脚本を書けばきっと誰かが助けてくれるだろうと開き直りました。他力本願なんです(笑)。

 

この作品は、原作が書かれたのが1982年なんですね。原作の久保さんがその当時に保母さんたちに実際に取材しているんです。
その保母さんたちが当時50代で、保育の現場で中心的な役割でリーダーシップをとっていろんなことをやっている人たちだから、意気軒昂なんですよ。そういう熱気が原作にはあるんですね。
そういう保母さんたちが、自分の若かりし頃にやった武勇談を語っている部分がけっこうあるから、すごく楽しいんです。
戦争中のものすごい困難な時代の出来事なのに、みんなエネルギーにあふれていて、
失敗談もいっぱいあるんだけど、
「あんたがばかだからあんなことになった」
「そんな言い方はないんじゃないの」
といったノリのところがあって楽しいんですよね。
脚本を書く時にそういうエネルギーとか推進力、前向きな力、若い人の可能性など、そういうものを取り入れながら描きたいと思いました。
そしてこの作品は暗い戦争の映画というのではなく、違うものができあがりそうだと思ったし、そういうふうにしないといけないなと思いました。

 

 

戦場や空襲のシーンを全面におしだして描くのではなく、もっと日常を描くことでそれがかえって戦争の虚しさや悲しさみたいなものがリアルに迫ってくるように思いました。

 

平松:
子どもを中心としたいわば楽園みたいなものが疎開生活の中にはあって、その一方で都会に残してきている父親、母親といった人たちは空襲などで悲惨な目にあっていく。
それを映像ではちょっと抑えめに描いているんですが、そのことでより強調される。
大人たちがそういう戦争の苦しい状況に直面する一方、子どもたちは普段とかわらずにいる、それでまた対比されてより過酷なものが出てくるというのは意識しながら作りました。
それも予算がないということがうまく働いたのかもしれないですけどね(笑)。
何百人、何千人もの人々が逃げ惑うというのは表現できないので、ひとつの家族を象徴的に描くということにしたんですが、それがこの映画の場合は正しかったんだな、というふうに思っています。

 

 

最後に映画をご覧になる方にメッセージを。

 

平松:

昔の出来事を描いてはいるんですけど、今につながる物語だと思います。
若い保母さんたちが53人の子どもたちを疎開させ、戦争を乗り越えたあと、その保母さんたちは保育のリーダーシップを担っていき、生き残った子どもたちも日本が復興していく中でおそらくなんらかの形で貢献していっただろうと思います。
そのはてに平成という、戦争が一度も起きなかった時代があって、いま次の時代になろうとしているときに、私たちははたして彼らが守ってきたものをどのように伝えていけるんだろうか、と考えながら作りました。そういったことを感じていただけたらと思います。

 

 

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平成からあたらしい時代へ移ろうとする今だからこそ、ぜひ観ていただきたい感動の物語。
亀岡や京丹波など、京都で撮影された美しい映像にも注目です!

 

 

 

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『あの日のオルガン』

2019年2月22日(金)

なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹 ほか全国公開
監督・脚本/平松美子
出演/戸田恵梨香、大原櫻子、橋爪功
https://www.anohi-organ.com/

©2018「あの日のオルガン」製作委員会

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